こちら豊島区池袋雑食課

宗教観

お寺に「エホバの証人」の方々が訪ねてみえました。

「釈迦に説法」という言葉はあるが、「お寺にエホバ」とは落語みたいな話だなぁ。

おれは無宗教だし、かつ宗教には熱心ではないが、仏教の哲学的側面や宇宙の無常という概念についてはある程度の興味があって、大学で宗教学の講義を受けた事がある。
あれは確か大乗仏教の講義だったかな、当時はそれなりに面白く話を聞いた思い出がある。

おれにとって宗教は手段であり、目的としての心の平安があると思っている。
御仏(まぁキリストでも道端の地蔵でもなんでもいいのだが)に手を合わせ、
想いを込める事で自分自身そのものに、心の平安が生まれるのだと解釈している。
つまりさ、乱暴な表現を使えば目的が果たせるなら手段は何でもいいわけだな。
その向こうに自らの幸せがあるのであれば。ただ、それはあくまでも己自身の話であって、まして他人に押し付けるものではない、それは宗教も哲学も変わりが無いと考えている。

豊島区界隈に住んで数年になるが、ちょこちょこその手の話も耳に入る。
おれの知人の叔母にとある「某巨大宗教団体」の構成員の方が居るらしいのだが、
家族は勿論の事、親類縁者に隈なく、かつ執拗に入信を勧めて来るのだそうだ。
知人は入信せず、とくに必要も認めてなかったのだが、その叔母の勧誘がひどかったらしい。

以前その知人が内臓の病気で入院した時、
貴方が怪我をしたのは「某巨大宗教団体」に"入っていないからだ"、と言い、
一方親類の信者が交通事故で酷い怪我をした時は「某巨大宗教団体」に入信しているから"この程度で済んだのだ"と得意気に言ってのけたんだそうだ。

おれの宗教観から言えば、全くこれは逆である。
怪我をせず無事なのは信心(によってもたらされる心がけ・あるいはお陰様)
が良かったんだな、と自分一人で完結するべきなのであって、
他人の運命にまで口を出す問題ではない。

他人は他人であっていい、これが正義だからと踏み入る権利は誰にもありはしない。
耳を塞ぎ自らの理を叫ぶだけ、醜悪を晒してそれと気がつかない宗教とはいかなるものか。

まず己を美しくある、その為の手段に過ぎないと思うんだがなぁ。

自分単独で完結すべきであって、
「これをしなければ幸せにはなれない」
「これを信じない貴方は間違っている」
「これを買えば貴方のステージがあがる」
ってのはどうにもいただけない。そんな神様仏様、それこそ何様。
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by gesotoku | 2004-12-09 13:37 | 雑談・愚痴

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